『災害列島日本、神の火はいらない!』
勢力の非常に強い台風15号が昨日静岡に上陸、そのまま東日本を駆け抜け各地に大きな災害の爪痕を残した。昨日の予想進路は当地も暴風雨圏に入っていたためサイカチの倒壊を心配。しかし早くに太平洋側に抜けてくれたため幸い何事もなかった。
ところで今年は何という年だろう。自然災害による避難騒ぎは九州から始まった。1月に宮崎の新燃岳が噴火、そして3月の東北地方太平洋沖地震による大津波と原発事故。更に今月の紀伊半島の土砂災害と台風進路の直接被害。三陸の被災者のなかには2度目の避難を余儀なくされた人もいる。北海道を除く全国で大災害が起き多くの被害者がでてしまった。
日本人への神の啓示なのか?人智ではどうにもできぬ自然災害。ただ自然災害だけなら諦めもつく。電源が供給できない事態になれば日本人だけでなく人類消滅の危機となる神の火が国内に存在する。返せるものなら一時も早くすべて神にお返えしすべきだろう。もう手遅れかもしれないが・・・・・・
‘大震災・「災勝ち(さいかち)」の祈り’ カテゴリーのアーカイブ
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(11)
2011 年 9 月 22 日 木曜日『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(10)
2011 年 9 月 11 日 日曜日『大震災から180日』
あの大震災から今日で丁度節目の半年が経った。このブログのテーマの10回目には「災いに勝つ」術を何とか見出したかった。しかし半年経った今でも国や行政は津波被災地復興への青写真を描けず、一様だった被災者の境遇は復興段階に入ってますます格差ができ複雑となった。そして人ごとだったチェルノブイリ、25年を経てもまったく終息していない放射能災害の現実を知った時、これから数十年、いや数百年放射能と向き合っていかなければいけない深刻な将来を考えると簡単にまとめられる訳もない。「災い」との戦いはまだ始まったばかり。7月6日に書いた広辞苑の「わざわい」の項の『災いも三年』、あの関東大震災でもその風化は3年だったそうだ。人の心はとても移り気、長期戦に備えこれまで通り“災勝ち・災克ち”を祈る!ことしか思いつかなかった。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(9)
2011 年 8 月 9 日 火曜日『静岡や京都の残念な出来事』
東北の大きな祭りも終わり、暦の上では昨日「立秋」となった。しかしセミ鳴き時雨れ、高校野球が開催されているこの暑さ厳しい時期は北東北でもまだ「真夏」の感が強い。さてもうすぐお盆の中日。京都の「五山の送り火」で焚かれる予定だった高田松原の薪が「放射能不安」の問題で使用中止となり、昨夜陸前高田市での「迎え火」として燃やされた。
酷い!「 “放射能は含まれていない” “量もわずか” なのになぜ?」と誰しも疑問が湧く。先祖の御霊を鎮魂する行事がネット上では東西の争いごとになっている。岩手(福島)と京都というその図式は、どうも縄文以降の「渡来人(大和人)」によって「先住民(蝦夷)」が東征された日本史(大和史)に根があるようだ。現代日本人のこころの底に未だ潜む東西の歴史文化観が、究極の大震災を機にさまざま垣間見えてくる。アテルイ(阿弖流爲)の真の鎮魂はまだまだ先のようだ・・・。
ただこれまでの西の人々の被災地への温かい支援も事実。そして、先日の東海テレビの「セシウムさん」事件の考えられない人のこころの裏も合わせ現実である。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(8)
2011 年 8 月 2 日 火曜日『第2の“変人首相”(?)菅さんガンバ!』
国会では死体(しにたい)と言われ四面楚歌の菅首相、個人攻撃のような挑発的質問に毎日さらされ、まだ1年足らずなのに頑張れば居座りと罵られ、普通の神経ならとてもやってられない。ちょっと追求されただけで手のひらに「忍」の字を書いて泣く大臣やら、安部、福田、麻生、鳩山と何もしないで次々に椅子を投げだす二世のおぼっちゃま首相連。そして被災地には一度も訪れずに反菅政争に明け暮れる地元某大物(?)政治家もいる。そんな人たちが国民の代表とは寂しい限り。
もともと「菅降ろし」は大震災で目の前に死人や瀕死の国民が何万人もでているのに手を差し伸べることもせず、「菅さんでは無理!」と意味の分からぬ権力闘争を繰り広げた自民党と民主党の反菅勢力がしかけたものである。国民の声はずっと「主義主張を越え、この大事には一致協力すべき」であった。その菅内閣が何とか復旧を終えると最初の「無理!」の大合唱はいつの間にか消えた。一丸となってやっていればもっと復旧は早かっただろうに!
3ヶ月ほど前、菅降ろしが盛んな状況下で世界一危険と言われた浜岡原発を菅さんが止めた時オッホは大英断と書いた(5月7日)。昨夜23時58分頃、静岡でマグニチュード6.1、震度5弱の大きな地震が起きた。その後も余震が続いている。この至極当たり前の決断を「思い付き」とか色々批判した人やマスコミはどう答えるのだろう。尻馬に乗ったり、他人の顔色ばかり伺う政治家にはできない実行力だ。震源は目と鼻の先、浜岡原発から20~30kmの駿河湾。事故が起きてからではもう遅い!
原発は止めたらすぐ安全というわけではない。しかし、終息の目途が立たない福島原発を抱え、浜岡に“想定外”の事故が起きればそれこそ日本の息の根が止まる。停止しているだけでも安心感はずいぶん違う。日本人は人と違う意見を持つ者をすぐ変人扱いし排斥する。明治維新のように社会の価値観が大きく変わる時、窮地を救うのは“普通”と違った視点を持つ変り者であった。欧米のように“変人”をもっと評価すべきだろう。刀折れ矢尽き果ててもまだ活路をさぐる姿が「天晴れ」に180度変わる時が来るかもしれない。なでしこJapanのように。ただ日本人の都合のよい変わり身の早さもちょっと気になるけれど・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(6)
2011 年 7 月 18 日 月曜日『日米決戦。一時災いを忘れて!』
「何事も最後まで諦めない気持ち」、今これを「なでしこ力」と呼ぶそうだ。スウェーデン戦に続き今朝も3時半起きして女子W杯決勝戦を見た。日本は確かに勢いがあり良い試合は期待された。しかし体力、スピードに勝り常勝のアメリカ、この明らかに格上のアメリカに勝つとは最後まで信じられなかった。艦砲射撃のようなシュートの嵐に何度も運が味方し延長戦に、そしてとうとうPK戦までもつれこみ勝負をつけた。正に「なでしこ力」の実証だった。
岩手県出身の岩清水梓選手、延長戦最後のタイミングでのアメリカのシュートに身を投げ出してゴールを死守、レッドカードを受けた。双方持ち味を活かした最高の試合だった。監督は山形県出身。小さな乙女たちの大きな活躍は苦境にある東北の人々、そして日本人の多くに一時の安らぎと勇気を与えたに違いない。なでしこジャパン「世界一」おめでとォ~ v(^_^)v・・♪♪♪
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(4)
2011 年 7 月 9 日 土曜日『“神の火”とどう付きう?』
15年前、東京からの移住に当たって「地震」の少ない所を条件にした。日本列島の地震動予測図や活断層・火山分布図などを調べ当地は双方クリアーした。しかし、移住して間もなく、常時観測火山ではなかったはずの目前の岩手山が突然噴火しそうということになり、観測網やハザードマップを作る騒ぎとなった。まさに「想定外」。
今度の大震災で原発を急きょ勉強した人は多いだろう。いま移住に当たって世界の原発マップは必需品となっている。いつの間にか狭い日本に55基(建設中含)もの原発が林立し、100キロ程度の円を載せると沖縄と北海道の一部を除きほぼ日本列島全域が覆われてしまう。日本人はもう地震と原発の災害から逃れることはできない。そして明日大丈夫という保証もない。常に「災い」と向き合い、明日は我が身の覚悟が必要である。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(3)
2011 年 7 月 7 日 木曜日『二つの震災、二つの復興』
東日本大震災は言うまでもなく仙台に近い三陸沖牡鹿半島の東南東約130km付近で発生したマグニチュード 9.0 の東北地方太平洋沖地震に端を発している。その大きさの割に地震による直接被害は幸い少なかった。今後の復興の道筋を考える時、大津波による直接災害と、原発の放射能による間接災害を分けて考える必要がある。
前者は規模が大きく現地はどこも目を覆う惨状だが、予測された自然災害であり人々の覚悟、復興への道筋、そして支援もあり復興への夢も残されている。また伝統的解決法も活きる。しかし後者ははじめての災害であり、福島の人々の覚悟もなく、復興への道筋は数十年、数年百、いや戻ることさえ叶うのか不明だ。田や畑がそのまま残るのに、国策で夢を断ち切られ、支援も受けにくく何とも悲惨だ。FUKUSHIMAをどう考えたら・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(2)
2011 年 7 月 6 日 水曜日『災いの伝統的解決法の検証』
昨日取り上げた広辞苑の「わざわい」の項に、『災いも三年』、『災い転じて福となす』の二つのことわざが載っている。前者の説明文には「禍でも、時がたてば幸の種となることがある」、後者には「身に降りかかった禍をうまく活用して、かえってしあわせになるように取りはからう」こととある。
つまり経験則的な解決法の代表として、まず“時間”がいつか解決してくれる、“3年”もたてば!ということのようだ。しかしその間「我慢」に耐え、とにかく「頑張る」ことと、最大限の生きる「工夫」は必要だろう。そして時とともに記憶が薄れ『忘れる』ことで苦痛は軽減される。
ベストは後者、“災勝”を得るには「残されたものを最大限活用し」、「新たな環境を活かし」、「発想の転換(逆転)」などを加え、新たな『目標(夢)を獲得』することだろう。当法人のテーマ「再価値・最価値(さいかち・さいかち)」精神が活きる。ただどちらも気力、体力、経済力、そして時間も必要なので高齢者や病気の人には厳しい。そこには一番に支援が必要だろう。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(1)
2011 年 7 月 5 日 火曜日『“災い”とは?』
東北の復興、そのヒントを探すために「災い」という言葉から考えてみた。広辞苑によると、漢字は「禍」と「災」があり、『「わざ」は鬼神のなす業(わざ)、「はひ」はその状(さま)をあらわし、傷害・疾病・天変地異・難儀などをこうむること。わるいできごと。不幸なできごと。まがごと。さいなん。』とある。
つまり、「災い」の種は人間一人ひとりの生涯において常に身近に潜んでおり、原因はさまざま。基本は「個人的な事象」のようだ。だから同じ災いが降りかかっても、人によってその不幸の軽重は大きく異なる。いま復旧から復興へと進む中、この震災で同じ仲間だった被災者が置かれた立場で少しづつ格差が生じ大きなストレスになっている。
『災勝ち・災克ち(さいかち・さいかち)』を祈る!今日のサイカチ100日目。
2011 年 7 月 3 日 日曜日『公開願掛け、満願日を迎える・♪♪』
サイカチの木に願いをかけてから今日で丁度100日目を迎えた。風景は雪景色から新緑、そして夏の風景に! 今日松川には今年一番の太公望の姿があり、震災前と変わらぬ風景が戻った。
3月11日の大震災直後、まだ雪が降る寒さ厳しい状況下で大津波よる沿岸部の想像を絶する被災が伝えられ、大停電、収まらぬ余震、新幹線や高速道路の損壊による交通網の遮断、そして次々に爆発する福島原発、燃料は枯渇し食糧供給の不安が追い打ちをかけ、在日外国人たちは次々と日本を脱出した。「日本は一体どうなるのか?」「東北は生き残れるのか?」と大パニックが続いていた。
2週間ほどたち、やっとわれにかえり、はじめた「災勝ち」の祈り。その後沿岸被災地は全国の方々の温かい支援を受け、インフラの復旧も順調に進んだ。百日願掛けを始めた3月26日以後は大禍なく、幸い今日を迎えることができた。サイカチの樹に感謝感謝である。この100日で多くの気づきと収穫があった。またこれからの新たな活動の目標もできた。忘れぬうちに明日から整理をしてみたい。