『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(9)

『静岡や京都の残念な出来事』
 東北の大きな祭りも終わり、暦の上では昨日「立秋」となった。しかしセミ鳴き時雨れ、高校野球が開催されているこの暑さ厳しい時期は北東北でもまだ「真夏」の感が強い。さてもうすぐお盆の中日。京都の「五山の送り火」で焚かれる予定だった高田松原の薪が「放射能不安」の問題で使用中止となり、昨夜陸前高田市での「迎え火」として燃やされた。
 酷い!「 “放射能は含まれていない” “量もわずか” なのになぜ?」と誰しも疑問が湧く。先祖の御霊を鎮魂する行事がネット上では東西の争いごとになっている。岩手(福島)と京都というその図式は、どうも縄文以降の「渡来人(大和人)」によって「先住民(蝦夷)」が東征された日本史(大和史)に根があるようだ。現代日本人のこころの底に未だ潜む東西の歴史文化観が、究極の大震災を機にさまざま垣間見えてくる。アテルイ(阿弖流爲)の真の鎮魂はまだまだ先のようだ・・・。
 ただこれまでの西の人々の被災地への温かい支援も事実。そして、先日の東海テレビの「セシウムさん」事件の考えられない人のこころの裏も合わせ現実である。

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