ツクツクボウシが鳴き時雨、夏真っ盛り。明日からいよいよ8月、盛岡「さんさ踊り」や弘前「ねぷたまつり」を皮切りに、2日青森「ねぷた祭り」、4日五所川原「立佞武多祭り」、19日真夏最後の鹿角「花輪ばやし」と短い縄文街道の夏が爆発する。7月は西日本を中心に猛暑と大雨が日本列島を襲った。北東北はそれほどでもなかったがこのところ断続的に大雨警報が出ている。松川も濁流が!昔は暴れ川で魔の住む川「魔地川」とも呼ばれたそうな。長い冬に耐えるためにも8月の夏祭り期間中は是非晴れて欲しいものだ。ビニールに覆われたネブタは見たくない!
2010 年 7 月 のアーカイブ
松川が「魔地川」に。今年一番の濁流!
2010 年 7 月 31 日 土曜日生命の食。小さな温泉宿の挑戦!
2010 年 7 月 28 日 水曜日八幡平山麓に通称「旭日之湯(八幡平南温泉)」という泉質抜群の小さな温泉宿がある。7年前の平成15年、NHKのふだん着の温泉で「“ふるさと”育む宝の湯」として取り上げられ、われわれも裸で出演した。ここのオーナーは当法人の設立メンバー。現在は活動を卒業し、事業者として応援してくれている。以前ここの敷地で農食医工房が中心となり、大地の甦生と、安全安心な食の提供、安らぎのある風景づくりをテーマに“FITN村”というモデル村建設を試みた。結局諸事情で中止となったが、今また宿の料理に提供するため、宿のスタッフで有機農業の挑戦を始めた。さ~どんな結果に!
どっちが大変?「真夏」の暑さと「真冬」の寒さ!
2010 年 7 月 22 日 木曜日つい最近まで連日豪雨とその被害がニュースの話題だったが、梅雨明け宣言がでたとたんそれが猛暑と熱中症に取って代わった。住みやすい気候かどうかは実際に住んでみないと分からない。一応当地も昼間は30度を越え「真夏」らしい。だがこれもお盆までの約1カ月、熱帯夜とは無縁だから扇風機でしのげる。高度成長期から東京はインド人もビックリの暑さとなった。異常な蒸し暑さだから夜はエアコンがないと眠れない。その暑さはまず北東北の人には想像がつかないだろう。反対に東京の仲間からは当地の長い「真冬」の寒さを心配される。しかし零下の外気温と同じだった昔の藁ぶき屋根の家とは違う。移動も車でドアツードアだから、1年を通した住みやすさは断然こちらのような気がする。
縄文街道も今日から「真夏」。初だんぶり!
2010 年 7 月 18 日 日曜日この数日ヒグラシが鳴き真夏はスタンバイ状態だったが、昨日の関東以西に続き東北も梅雨明け宣言が出た。平年より9日ほど早い梅雨明けだそうで、いよいよ冬のうっぷんを吹き飛ばす夏祭りシーズン到来である。気候がおかしいおかしいと騒がれるが、だんぶり(トンボの東北方言)もちゃんと昨日あたりから庭に姿を見せ、季節はきちんと巡っている。だんぶりと言えば縄文街道双六の場10に「だんぶり長者屋敷跡」を選び、秘められた伝説を紹介した。みちのくの昔人はこんな小さな生き物から京の都にも広がる壮大な物語を創作した。物は豊かになったがこころに余裕のない現代人、だんぶりの存在すら気がつかないのが寂しい・・・。
春と真夏の間、「雨夏」点描。アジサイ!
2010 年 7 月 15 日 木曜日緑一色となった梅雨の庭の主役は何といってもアヤメとアジサイ。だがアヤメは花期が短いのであっという間に終わってしまった。いま庭には三種類のアジサイが咲き競っている。この際花の名をきちんと知っておこうとググってみた。出てる出てる・・ホントに便利な時代だ。意外に種類も花色も多様。シックで花期も長く、時々刻々色も変化して飽きない。さて最も自慢は通りがかりの人から分けてくれと所望される深みのあるターコイズブルー(トルコ石の色)の花。これは「黒姫」という品種でヤマアジサイの代表格とあった。アジサイは丈夫で日本の風景と調和する。改めてその魅力を見直した。
菅江真澄がメジャーデビュー。東京でも!
2010 年 7 月 13 日 火曜日先月久々電車で東京に出張した。東北新幹線の席のポケットには無料の雑誌「トランベール」が入っている。東北の文化が常に上手に紹介されており、6月号には「菅江真澄」が特集されていた。それだけでも「アヤ!」と思ったが、中央線に乗り替えると何とドアー上の広告用液晶画面でも流していた。「ワ~ッ」東京の人も見てる!菅江真澄は残念ながら秋田以外あまり知られていない。1年前このブログの最初に詳しく取り上げ、今年3月には「舟橋跡」の岩手デビュー(3月7日付)を果たし、講演会も行った(3月28日付)。だが全国発信はまだ時期尚早と考えていたのでちょっと感動である。縄文街道甦生プロジェクトの即戦力になりそうだ・・・!
サパウンペ。アイヌの心とともに引き継ぐ!
2010 年 7 月 10 日 土曜日「サパウンペ」とはアイヌの男性が神への儀式などで被る幣冠のことである。昨日、旧松尾村在住のアイヌ語研究家から譲り受けた。先生は3年前、ライフワークである北東北のアイヌ語地名を「アイヌ語地名解」という本にまとめた。縄文街道の起終点にそびえる霊峰「イワテ」山と「イワキ」山、なぜ「イワ」と共通なのか長年疑問だったが、アイヌ語で「神・住み賜う・所」の意とする先生の説で氷解、お付き合いが始まった。高齢となり本も上梓したので、雪深い松尾から盛岡の家に引越す最後の日にたまたまお邪魔、アイヌの人から譲り受けた神聖な被り物を縄文へのこころとともに二周り若いオッホが引き継ぐことになった。サパウンペパワーで1カ月近く続いたスランプから復帰できるか・・?