今年はサイカチの実をまだ一つしか見つけていません。不作の年のようです。
サイカチの実は昔石鹸の代用として使われていました。サイカチの洗浄成分の主体はサポニンです。人間が作った石油系の合成洗剤は川を汚し人体に有害なのにくらべ、サポニンはそのまま自然に返る、これがサイカチを環境活動のシンボルにしている大きな理由です。実のさやをこちらの言葉で“うるかし”その上澄みを使うのです。結構よくおちます。また漆器の洗剤として現在でも使われています。そのやさしさがアトピーの人にも良いようです。
この木はカブトムシも好んで来るはずなのですが、大瀬の夫婦サイカチは年取りすぎて樹液が出ないのか見たことがありません(~_~;)
2009 年 9 月 のアーカイブ
環境に優しい洗剤として
2009 年 9 月 29 日 火曜日花壇が風景の中で華やかに!
2009 年 9 月 27 日 日曜日前掲の老人クラブの人たちが造った手づくり花壇、いまこんなに鮮やかに花が咲き、サイカチ周辺の眺めが一変した。10年前の産廃に埋もれた風景を思い出すと感無量である。まだ小さな花壇だがオッホにとっては大きな第1歩。さらに植えられた桜の苗木が花を付け、誰の心にも未来の風景が描けるようになればその勢いはもっと加速するだろう。地域づくり活動のトップページのサイカチ村の絵の一角の完成だ。10月の第一土曜日(10月3日)は恒例となった夫婦サイカチのしめ縄と幣束が替えられる。そして、モニターツアーが成立すればここもデビューとなる。
縄文街道の青森の同志
2009 年 9 月 26 日 土曜日今日のジョウモン人は弘前市に住む女性です。委員の肩書をたくさんお持ちだがあくまで「主婦」だとおっしゃる。小さな身体に関善のAYさん同様熱い思いをたぎらせる。5年前三県連携の集まりで縄文街道甦生の夢を語り合った仲間の一人だ。その後青森での事業実施の際はずっとご支援をいただいている。当時わが社の若いスタッフは街道沿いの熱い女性たちに感嘆した。男はドロップアウトする勇気がなければ保守的な体制としがらみの中で何もできない。がんじがらめの古い男社会に風穴を空けるのは元気な女性かヨソモノ人か若者ということか。青森の拠点施設となったねぷた村を推薦してくれたのもこの方である。
「大瀬渡り舟橋跡」に活気が戻る
2009 年 9 月 23 日 水曜日 連休前半は秋晴れのとても穏やかな天気が続いた。活動のシンボルとしている夫婦サイカチの周りはたくさんの車が止まり、川は多くの太公望で賑わった。そう、ここはちょうど昔の渡し場跡である。つまり菅江真澄が描いた岩手の代表的な絵の舟橋跡でもあるのだ(5月20日記)。
今日当法人のニュースに第2回認定モニターツアーの募集チラシを掲載した。旅の始まりの縄文街道起点としたこの場所には気のきいた正式名称がない。菅江の文にも「舟はしあり」としかない。そこで以前決めた「大瀬渡り舟橋跡」を正式に記載した。ツアーの最初、サイカチに旅の“災勝”を祈り、縄文街道の旅をスタートさせる。ツアーが成立すれば2009年11月1日は縄文街道起点の新たなデビューの日ともなる!
山の上の大御所理事として参戦
2009 年 9 月 20 日 日曜日岩手のNPOも創設時の10年前と比べれると10倍以上に増えた。玉石混淆すでに解散した組織もある。10年たつと社会環境経済環境だけでなく組織内部の人の意識や個人的環境も大きく変わる。NPOも変わり続けないと生き残れない。わが社は平均年齢28歳という若い集団でスタートしノリで活動してきた(アーカイブスに組織図と顔写真を掲載)。その若者はいますっかりおじさんとなり社会の中堅で活躍、実業団として応援してもらっている。スタッフの陣容は少数精鋭20代から70代まで幅広い形になった。その最長老が今日紹介のNTさん。分類はヨソモノ人種、オッホと同じ50才で東京の金融関係の役員から高原ペンションのオーナーに転身した変わり者属の一人だ。元観光協会の会長、これまで実務の悩みを大所“高所”から相談にのってもらってきた。夢をつなぐ活動に年齢も性別も関係はない。
縄文街道の秋田の戦友
2009 年 9 月 19 日 土曜日今日のジョウモン人は秋田県鹿角市にお住まいの女性です。秋田里の駅となったNPO関善賑わい屋敷の理事、民話の語り部、まちの案内人、市会議員、北東北の広域連携団体の役員等々と大変多忙な方だ。ふだんはとても穏やかだが、県道拡張工事で取り壊される予定だった旧関善酒店の主屋(現登録有形文化財)を曵家(ひきや)保存し、生命を甦生し続けているバイタリティーあふれた人です。旧北東北広域連携推進協議会で知り合い、夢を語り愚痴をこぼしあいながらお互いここまで活動を続けてきた戦友でもある。縄文街道の秋田の拠点施設として新たなステージのお付き合いが始まった。
サラリーマンから手打ち蕎麦屋に!
2009 年 9 月 18 日 金曜日今日のジョウモン人も変わり者仲間のRHさん。キャラクターグッズ誕生の立役者だ。1年前まで高速道路のサービスエリアの取締役支配人をしていた。趣味を活かし蕎麦屋をやると定年前にさっさと辞め、春から「遍利窟」という手打ち蕎麦屋を営んでいる。2年前、地元の公民館で歴史と環境の講演をした際縁ができ、双六セットや初期グッズをSAに置いてもらった。その後、双六の原画展の会場にレストランを提供してくれたり、幟を作ったりと応援してくれた。それが土産卸の営業マンの目に止まり、チカジたちのグッズを作ってみたいという話に発展、グッズが実現したのである。SAでの付き合いはたった半年、まさに縁とは不思議なものだ。
岩手山麓の生命の仲間
2009 年 9 月 17 日 木曜日今日はヨソモノ人の紹介だ。ちょうどオッホたちがNPOを立ち上げたころ、岩手山麓の広大な敷地に農場を手づくりで建設しだしたご夫婦がいた。K夫妻である。旦那は大阪出身、奥さんは福岡生まれの東京育ち、圧倒されるガッツがある。オッホの家も手造りが自慢だが規模が違う。最初の小さなプレハブ小屋からはじまった建設も夫婦力を合わせ、今ではすっかり牧場らしくなった。まさに継続は力。「生命の循環」をテーマにルーデンス農場という養鶏を主体にハーブなどを生産している。ここの鶏の雛は秋田里の駅の関善賑わい屋敷の前に立つ市(3と8の付く日)で購入すると聞く。今日は東京の中学生たちが体験学習で一緒に汗を流していた。
オッホの相談役は87歳!
2009 年 9 月 16 日 水曜日集落の老人クラブの元会長さんでこころの相談役である。好奇心旺盛でまだまだ現役だ。サイカチの最初の魂入れ儀式に老人クラブ代表として立ち会われた。それ以来亡くなった奥様ともどもつらい時代をずいぶんと支えていただいた。最初に無条件で受け入れてくれた方々のお一人でもある。Iターン者が最初にぶち当たる大きな壁が人間だ。排他的な田舎で受け入れてくれる人が見つからないと「よそ者」は孤立して撤退するしかない。特に「郷に入り、郷に従えない」オッホのような変わり者は特に難しいのだ。出身は秋田の縄文街道沿い、大湯環状列石近くで正真正銘のジョウモン人である。
チカジたちの木像を彫ることに!
2009 年 9 月 15 日 火曜日今日のお客さんは最近知り合いになったとびっきりのジョウモン人HYさん。木彫りを趣味にしている。趣味といっても腕は本職。チカジとチカチンを彫って不二家のペコちゃんポコちゃんのように岩手里の駅澤口酒店の入口に飾ってもらうことになった。今日は本物を作る前の小品を彫ってきてさっそく打合せ。PRグッズで小さな立体は出来たが本格的なものははじめてである。チカジたちの表情や顔の輪郭を立体で表現するのはとても難しい。さーどんな作品ができるのだろう。超たのしみ♪