代表者メッセージ

田村麗丘アイコン40年近く前、自分の生まれた日本列島が知りたくて、山々や観光地をくまなく巡る旅を続けました。四季のもっとも豊かな中緯度帯に横たわる日本列島、悠久の歴史とともに山ひだごとにある繊細で美しく豊かな風景遺産の素晴らしさに改めて感動しました。当時はまだ当たり前のように風景に宿していた「生命」の豊かさは戦後続く経済優先社会にあって、開発のしやすい里から経済や便利さに急速に変えられ、いまや全土が「景観」のみのかわいた眺めになってしまいました。経済開発の遅れていたここ北東北の風景も残念ながら例外ではありません。

 

 

風景のいのちとは何?

エ、風景に生命があるの?と思われることでしょう。原風景、風景画、農村風景というように「風景」という言葉には、われわれ日本人はほっこりとした神や畏敬の念を伴ったもやもやした大事な何かを感じます。建設コンサルタントで「景観」を専門に生業としていた50歳までの現役時代、景観という言葉には足りない何かが分かりませんでした。その何かを探しにここ北東北に拠点を移しました。たまたま移り住んだアトリエの脇に立つ、産廃に埋もれた一本のサイカチの老木の出会いと、「殺・風景」という言葉の再発見で、風景に宿る生命の存在に確信を得たのです。(著書「風景と景観」)そして、その実証と甦生活動がこのNPOの主な活動です。

平均年齢28歳という若い集団で発足しました(旧HPに載っています)。その時偶然まだ当時無名に近かった小田ひで次と出会い、NPOのメンバーに引き入れました(彼は「拉致された!」と言っています)。その彼が発足記念としてエピソードを描いたのが「サイカチ物語-序章」です。風景の生命を分かりやすく化身としてサイカチの精霊を描きました。風景の生命の精霊誕生です。

 

再価値 Do 最価値

サイカチの木「再価値、最価値(さいかち、さいかち)」この言葉は発足記念として平成13年7月13日、サイカチの樹の下で催した「未知の国(みちのく)縄文回廊ターミナルコンサート」でボランティア出演してくれた和歌山県新宮市の横笛奏者、福井幹(つよき)氏が後日私たちの活動を見て贈ってくれたメッセージです。始まった活動の趣旨を一言で表した明言だと思います。サイカチはもともと「災勝」、「再勝」として敬われてきたのですが、「もったいない」「4R」にも負けない環境と共生した地域づくりを行うための新たなキーワードだと思います。

 

主人公となったオッホ(ふくろうの南部方言)に似たこのサイカチの精霊(いのちの化身)が活躍し、ひん死状態の日本の大地に住む多くの「風景のいのち」たちに勇気を与え、いつも笑顔で住める豊かな風景が取り戻せることを願って頑張っていきたいと思っています。

 

田村麗丘プロフィール

1945年生まれ。本名・田村利久、東京都新宿区出身、岩手県八幡平市大更在住。著述業、風景計画家、日本風景文化研究所主宰、NPO法人風景の生命(いのち)を守る地域づくりネットワーク理事長、岩手県環境アドバイザー、岩手県景観サポーター。東京の大手総合建設コンサルタントに勤務、1995年フリーとなり岩手県に活動拠点を移す。1997年地域づくり私塾「オッホ河畔夢塾」創設主宰。2001年私塾を母体に縄文史観による生命と共生した社会実現を目指すNPO法人を創設。

主な著書、1999年「風景と景観 - 景観甦生の論と技」(環境コミュニケーションズ社刊)、2003年「未知の国(みちのく)へ」、2006年「未知の国道中縄文街道絵図」および「すごろく」「縄文街道案内入門編」、2008年「未知の国縄文街道 四季暦」各当法人刊など。