‘大震災・「災勝ち(さいかち)」の祈り’ カテゴリーのアーカイブ
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』ー大震災から1年!!
2012 年 3 月 11 日 日曜日『“災勝ち・災克ち”を祈る!』ー“残念な一本松”ガンバ!
2012 年 1 月 11 日 水曜日 何度か取り上げた陸前高田の「奇跡の一本松」、去年の12月13日枯死したと正式に発表された。樹木は根に負担がかかったら養生のためバランスとして枝葉を大きく詰めるのが常識。全国的に「奇跡の1本松」として一躍脚光を浴び、復興の象徴となって絵本や土産にもなった。人は残念だが“見てくれ”が良いと「美人」だ「イケメン」だと大騒ぎする。瀕死なのにスターとしてその絵になる美しい立ち姿を求められ、枝葉を切ることも許されなかった事が枯死の一因になったように思う。
5月に“残念な一本松”と書いたその樹が気になり11月にまた会いに行った。枝のほとんどが折れ、満身創痍のみすぼらしい姿は相変わらずだが、写真の文面を見てもらえば分かるように生きている事は地元でも知られているようだ。
このもう一本の真の「ど根性松」が実際には生き残っているという事実を誰がいつどんな形で発表するのだろう?「一本松」と名付けた以上、もう一本ありましたと今更言い出しにくいのは分かる。しかし、今はブサイクでも、根の条件は格段に良く、葉もなかったために樹に負担がかかっていないので、恐らく春になると新芽が出て、夏には誰の目にも明らかなほど存在感を増すだろう。
剥製保存とか苗木から再生とか言われているが、オッホにはこの“残念な一本松”の活かし方が今後の三陸復興の大きなヒントになるような気がする。誰か知恵者が新たなデビューのストーリーを練ってくれていれば良いのだが。それとも日蔭者として闇に葬ってしまうのだろうか、まさか、ちょっと心配だ・・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』ー明けましておめでとうございます!
2012 年 1 月 1 日 日曜日 明けましておめでとうございます。
今年のお正月は例年のように年が改まったという心からのウキウキ感がありません。その一番の原因は人類が経験したことのない原発廃炉まで最低40年という一生の重荷を東北が背負ってしまったこと。そして放射能の不安を抱えながら、明日は我が身の先の見えない不確実な時代を生き抜いていかなければならないことが根底にあると思います。まして故郷や生活の基盤をすべて失ってしまった津波被災地や福島の方々の不安はいかばかりか・・・。この未曾有の逆境の中で希望を見出すには、ピンチをチャンスに大転換していくしかありません。微力ながら残りの人生をそのような活動にささげたいと改めてサイカチ(災勝)の樹に誓いました。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』ー被災地からミュージシャンがやって来た?!
2011 年 12 月 25 日 日曜日 東北だけでなく日本を揺るがす大きな出来事のあった2011年、残りもあとわずか1週間となった。今日当法人の認定岩手里の駅、澤口酒店2Fのコミュニテースペースで友人の村山さん(元JRの駅長さん)主催のきたむらいずみ&リアス・ユニットのミニ・ライブ、「みちのくクリスマスツアー~復興を願って」があった。
昨日沿岸被災地宮古市でのライブの後、村山さんが宮古の音楽仲間を引きつれて姉妹都市の当地でもライブを企画してくれたのだ。これまでは音楽の炊き出しにボランティアで被災地にアーティストが行くのが常識だったが、逆に被災地の方々が来てくれたのは震災から9か月あまり、多少そんな余裕がでてきたからなのだろう。「明日があるのだろうか?」と「災勝・災克」を祈ったあの3月を考えると、音楽を楽しめる日がこんなに早くくるなんて夢のようだ・・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』ー初雪だ~!
2011 年 11 月 16 日 水曜日昨日秋田青森地方は夕方から雪が降るという予報がでていたが、ノーマルタイヤのまま弘前での里の駅定期連絡会議に皆で向かう。早々に会議を終え、3時過ぎには高速道路に乗るも予報通り雪が舞い始める。秋田の鹿角を過ぎ、奥羽山脈を横断するころには本格的な降りとなって通行止めの不安が一瞬よぎる。安比(アッピ)高原スキー場脇の長いトンネルを抜けると住んでいる八幡平市の西根地域、まだ雪はなかった。そして今朝、目が覚めると当地も雪国に変わっていた。いよいよ北国は一斉に長~い長い冬の季節に突入。8か月前のサイカチへのお百度参り初日の風景を思いだした。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』ー初霜が降りた!
2011 年 11 月 10 日 木曜日 今朝は快晴、初霜が降りていた。今年は紅葉の期間が明らかに長い。例年だと霜がもっと早く降り、木枯らしも吹くので早々に紅葉も散って殺風景になっている。そんな風景に追い立てられて冬仕度の準備にせわしない頃だ。しかし、こんな当たり前の日本の秋を演出してきた落ち葉はいま放射能の元凶扱いとなっている。生命を脅かされるばかりか、自然の恵みや四季の楽しみを奪われた福島の人々を想うと何とも切ない。
オッホが著作で書いた「風景」と「景観」の定義は、風景には「生命」が宿っていること。「景観」は残っても「風景」に宿る生命を原発によって奪われた福島の風景は「殺風景」ということになってしまう・・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(15)
2011 年 11 月 6 日 日曜日『「災い」を改めて考える(最終回)』
震災からもうすぐ8カ月が経とうとしている。津波被災地の人たちがいま一番恐れていること、それは「忘れられること」だと言う。津波被災地の復興の見通しや原発の臨界の危険そのものが解消した訳ではない。しかし、人々の関心はすでに津波から原発へ、そして自分の生活に直接かかわる放射能へと移りつつある。
「災い」の風化については何度か取り上げた。今回の石祠設置は、サイカチへの感謝とともに、大きな被災を受けなかった内陸部の者として、被災された方々への復興のささやかなエールと、「災い」を風化させないようにとの願いの一つの結論である。このテーマの更なる展開の構想はあるが、石祠が完成したことでとりあえずこのテーマの一区切りとしたい。復興と原発については今後の経過と情報を収集し、また改めてコメントしたいと考えている。
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(14)
2011 年 11 月 3 日 木曜日『災勝の祈り。サイカチの根元に感謝の石祠!』
震災後、サイカチの樹に百日間の災い平癒の願掛けを行い(3月26日から7月3日までブログで公開)、無事満願成就を果たしたので、サイカチの根元に感謝の石祠を据えることにしていた(オッホ河畔夢塾主催)。石祠の加工も終わり今日は大安吉日、文化の日で日柄も良く、天気も最高。さっそく石屋さんに設置してもらうことに。工事は午後3時頃から始まったが、置くだけなのであっという間に終了。これでようやく思い描いていた風景のベースが出来上がった。平成9年、産業廃棄物に埋もれていたサイカチの救出から始まった「サイカチ物語」、今後どんな展開を描くことになるのか・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(13)
2011 年 10 月 6 日 木曜日『新米“無事”初出荷!』
岩手県内の米の放射能検査が終わり9月27日幸い全域が「不検出」、昨日から新米の出荷もはじまった。当地域の田んぼはまだ見渡す限り黄金色。雪に追われて遅れていた稲刈りがようやく始まった。いつもなら収穫の秋で心が弾む季節なのに浮かれる気持ちになれない。手塩にかけて作った農家の方々は尚更でしょう。
米は日本の食文化の中心であり日本の原風景。もし放射能が検出されればアッという間に田畑は荒れ、農村も文化も秋の喜びもすべて消滅する。福島の浜通り地方は復興の希望すら奪われた。便利さと金銭への人間の欲望の代償とは何と残酷な神の火の報いなのだろう・・・・
『“災勝ち・災克ち”を祈る!』-「災い」を改めて考える。(12)
2011 年 10 月 3 日 月曜日『岩手山初冠雪!』
昨日、岩手山が初冠雪とニュースで報じられた。残念ながら曇って見えなかったが今日確認できた。思っていたより下まで白い。頂から冬が降りてくる季節となった。北国の長い冬はもうすぐ。
あの大震災当時もまだ雪が舞っていた。不幸中の幸いだったのは震災がほぼ雪も融け、明るい春に向かう季節だったこと。もし今頃だったら捜索も復旧も被災者の心も最悪の事態になっていただろう。大自然も季節だけは復興のスピードに手を貸してくれたような気がする・・・