『サイカチへのお百度参りから』
どこから手をつければ良いか分からない500キロに及ぶ広大な津波被災地。加えて悪化する目に見えない原発の放射能汚染問題は食糧供給基地である東北の人々の不安を倍加させている。この大災害に長期的に立ち向かわなければならない復興しようとする人々の心が折れてしまってはそれこそ大変だ。人の心は昔も今もそんなに強くない。「頑張ろう!」「頑張れ!」は短期的には良いが、先の見えない長期的不安にはこの言葉だけでは持つかどうかとても心配だ。
機械力も何もない280年前、岩手山の大規模な噴火に際し、麓に住むこの土地の人々は真冬の寒さ厳しい年明けに「裸参り」をして山の神々に鎮護を祈った。そして毎日のさまざまな災いには身近なサイカチの樹に「災勝ち」を祈った。
科学的ではないと一笑に付されるかもしれないが13年前、唯一まち中に残り産業廃棄物に埋もれ忘れ去られていた「サイカチ」の巨樹を見つけゴミを片付け、平成9年12月26日に地元有志と御神木として甦生させたところ奇跡が起きた。噴火すると言われていた岩手山の震源は29日には西に移動(国土交通省イーハトーブ火山局HP)、その後ピタリと止んだ。
後に古老から農業神である岩手山の神が、春に松川(北上川)沿いに下る際、立ち寄った寄木だと聞いた(岩手山、岩木山のイワはアイヌ語で神集う場の意)。
過酷な情況から復興を地道に成し遂げていくのは「人」。そしてその人々の「心」を支える言葉の力はとても大事だ。大きな災いに遭遇し克服した先人の知恵を借り、まずは心が折れないよう「災勝ち」を願い、そして「災勝ち」を心に誓う『災勝・災勝(さいかち・さいかち)』を励ましの合言葉に加えたらいかがだろう。そうすれば「頑張れ」とだけ言われるよりも気持ちが楽になり落ち着くと思う。
今回の未曾有の災いに対し、古の人々と同じように「災勝ち」を素直に信じ、また縄文の大地の神々に「災勝ち」を願いながら、サイカチとの仲立ちとしてひとまず願掛け100日間、「今日のサイカチ」を日本のみなさまにお届けしたいと思います。