‘縄文街道の人的交流’ カテゴリーのアーカイブ

サパウンペ。アイヌの心とともに引き継ぐ!

2010 年 7 月 10 日 土曜日

 「サパウンペ」とはアイヌの男性が神への儀式などで被る幣冠のことである。昨日、旧松尾村在住のアイヌ語研究家から譲り受けた。先生は3年前、ライフワークである北東北のアイヌ語地名を「アイヌ語地名解」という本にまとめた。縄文街道の起終点にそびえる霊峰「イワテ」山と「イワキ」山、なぜ「イワ」と共通なのか長年疑問だったが、アイヌ語で「神・住み賜う・所」の意とする先生の説で氷解、お付き合いが始まった。高齢となり本も上梓したので、雪深い松尾から盛岡の家に引越す最後の日にたまたまお邪魔、アイヌの人から譲り受けた神聖な被り物を縄文へのこころとともに二周り若いオッホが引き継ぐことになった。サパウンペパワーで1カ月近く続いたスランプから復帰できるか・・? 

菅原進さん。85歳!

野のアイヌ語研究家、菅原進さん。おん歳85才!

「アイヌ語地名解」850ページの労作!

850ページの労作!エミシの国の「アイヌ語地名解」

似合うと言われ、ちょっとアイヌ気分!

似合うと言われ、ちょっとジョウモン人気分!

「再価値・最価値」以来。心に響く新たな言葉と人!

2010 年 6 月 11 日 金曜日

 ネットワーク活動は人の輪を広げまとめあげる事業、何の活動をするにも人材がすべてである。不思議なことに「こんな人がいると良いのにな~」と念ずると昔から奇跡的にパッと現れた。おかげで東京での50年に匹敵する、いやそれ以上の輪ができた。現在、縄文街道の食と地酒、そして漆器遺産づくり事業が進行していることは何度もお伝えした。しかしその中核となる「農と食」活動で「生命」の哲学が共有できるプロの人材がいなかった。昨日、打って付けの方と事務所でお会いした。住まいは北海道だが当地出身でこの春まで誰もが知ってる大手外食チェーンの副社長を勤めた人である。さびれる郷里の活性に貢献したいと来ていた。話が完全に重なり、今後の活動が大きくパワーアップしそうである。そしてとりあえず1冊の著作と「懐かしい未来」という言葉を置いていかれた。 

農業や生命への思いを詩にしたさとうたくまさんの本

農業や生命への思いを詩にしたさとうたくまさんの本

青森の料理と酒。楽しい検討会も最終回!

2010 年 5 月 30 日 日曜日

 三県の認定里の駅持ち回りで開催している連絡会議を一昨日開催、合わせて続けてきた3県の料理遺産と地酒の組合せを決める楽しい検討会も最終回となった。今回の会場は弘前市の隣、平川市の南田温泉ホテルアップルランド(検討会1回目岩手は3月4日付、2回目4月5日付掲載)、リンゴづくしを売りの大きなホテルである。会場も三県の里の駅同様第1回はペンション、2回目はこじんまりした小さな温泉宿と規模を変えてみた。今後縄文街道ツアーが実現できれば、白神の世界自然遺産や8つの縄文街道ストーンサークル、そして三県の特徴ある料理と酒、温泉をいっぺんに味わえる贅沢な旅が実現するはずだ! 

持ち回りの会議も6回目となる

持ち回りの会議も6回目。料理と酒はヒ・ミ・ツ!

翌日(昨日)はピーカン。岩木山が美しく見えた!

翌日(今日)はピーカン。岩木山が美しく見えた!

関善賑わい屋敷と交流。懇親会に参加!

2010 年 5 月 26 日 水曜日

 鹿角市(秋田)のNPO法人関善賑わい屋敷の総会後の懇親会に招かれ親睦を深めてきた。大きな建物の維持と利活用だけでなく、建物前で開催される花輪の朝市の管理を市から請け負うなど、スタッフは創意工夫しながら日々まちを賑わすために献身的に頑張っている。縄文街道甦生プロジェクトは街道沿いのこんな風景の生命を地道に蘇生させる活動を支援するのが目標だが、まだ時間がかかりそうで歯がゆい。グッズ販売のコーナーにはわが社のグッズも並べてもらっている。縄文街道四季暦の再生袋(記事3月20日・29日付)がまた進化していた。活動も袋も行くたびに進化している。人間の創造力は無限、負けてはいられない! 

関善のグッズ売り場。四季暦のデカイ再生袋!

関善のグッズ売り場。進化したデカイ再生袋が目立つ!

チカジとチカチン、ジョウモン人HYさん正式デビュー!

2010 年 5 月 23 日 日曜日

 今日木像完成のお披露目会を予定通り催した。背景の説明板が昨日間に合わない事が判明、オッホが夜なべで仮の説明板を突貫で製作、何とか間に合い事なきを得た。ネームプレートは最後の仕上げとして、式の中でジョウモンジンHYさんが取りつけ完成。そして今日から彼は木彫家横田英明氏に!チカジとチカチンはお神酒をあげられ、かしわ手を受けて漫画の精霊から現実の精霊となった。愛くるしい二人の精霊は参加した老人クラブや取材した報道関係者にも評判は上々だった♪これでいよいよ“チカジとチカチン縄文街道をゆく”準備が整う。 

小田ひで次、お神酒をあげる。自分の作品が精霊に!

小田ひで次、お神酒をあげる。自分の作品が精霊に!

産みの親二人、地元紙の取材を受ける。

産みの親二人、地元紙の取材を受ける。

関係者で記念撮影。背景に突貫で作った看板が!

関係者で記念撮影。背景に突貫で作った看板が!

北東北連携ネット。総会へ“言って”きた!

2010 年 5 月 16 日 日曜日

 北東北連携ネットワークの総会に出席してきました。この会は岩手、秋田、青森三県のさまざまな活動をしている団体の唯一の交流連携の集まりです。以前は三県の首長が道州制をにらみ力をいれていたので三県が人とお金を出し合って「北東北広域連携推進協議会」として運営されていました。最近は州のブロックが東北6県に傾いたせいか首長の熱意も薄れ、昨年春から民間有志で構成されたこの団体に引き継がれました。当法人の基幹事業である「縄文街道甦生プロジェクト」は旧団体の補助と交流会で得た人脈で立上げています。ということで元気を出してもらうためちょっと吠えてきました。お金も人もないこの種のボランティア役員は大変ですよね、まあうちもおんなじですけど(涙) 

ちょっと参加者が少なく元気がなかった!

参加者も少なく元気がなかった。がんばって~「喝!」

山奥の喫茶店に樹液コーヒーを飲みに!

2010 年 5 月 4 日 火曜日

 昨日もポカポカ陽気、長い冬から解放された北国の民はやはりじっとしてはいられない。人出の多い所を避け豊かな時間をすごせる場所は?と頭をひねる。そうだ「カフェ森風」へとパートナーを誘う!NPO仲間が運営しており、盛岡から50キロほど北の“ド”山奥にある。廃校となった分校を再活用した「森と風のがっこう」の収益施設で、喫茶店の立地としてはありえない。空いていると思ったが行楽日和の連休中、やはり超満員でした(笑)。 

代表の吉成さん、先月まで県のこどもの国館長。

NPO代表の吉成さん、先月まで県子どもの森館長。

この廃校から始まり、現在ハイテク駆使の建物も!

この廃校から始まり、現在ハイテク駆使の建物も!

サクラはまだだが“花見”をしました!

2010 年 5 月 3 日 月曜日

 縄文街道岩手里の駅澤口酒店のユニークな特設屋外施設で昨日“花見(?)”をしました。八幡平の桜はまだ蕾みですが春の便りがあふれてみなウズウズ。そこで先日の市議会選挙で集落から立った候補者の祝勝会を名目に地元有志が今年初の屋外での飲み会を開催した(オッホの勝手な推測!)。ここの店主はアイデアマン。講演会もできる屋内の宴会スペースと合わせ飲み物さえ買えば気軽にこれらの設備を使わせてもらえる。住民も安く大人数が気軽に集会を開けるのでとても便利、口コミで利用者は着実に増えている。酒屋の生き残りを賭けた一つの術である。 

屋外施設で“花見”

今年初の屋外施設での“花見”に岩手山も笑う!


店主Kさん。商工会のイベントで手慣れたもの

店主の澤口勝美さん。商工会のイベントでも活躍!

 

久々のおもしろ人。遺跡でパフォーマンス!

2010 年 4 月 25 日 日曜日

 昨日メールを開くと親しくしている滝沢埋蔵文化財センターの学芸員K氏から「本日環状列石にて現代美術と縄文をテーマに 創作活動がおこなわれます。時間は、朝4時~7時と夕方4時~6時」とお誘いの連絡。すでに8時、「おもしろそうなので夕方のパフォーマンスに是非伺います」と返事を打つ。何だか良く分からないまま現地到着。懐かしい、東京時代いつも周囲にいた同じ匂いのする“あやしい男”たち3人と名刺交換(全然怪しくないのだが、岩手の在ではこの14年間オッホも常にそう言われ続けた)。ギャラリーは日報の学芸部記者とオッホの2人。寒空のもと谷地山に陽が沈むまでの2時間、見えぬ縄文人と向き合った。結局「ウ~ンやってることは“超あやしい!”」と常人と同じ感想(笑)。でも縄文街道をこれから楽しくしてくれる人たちの予感がする。また夏、「再来」。 

湯舟沢環状列石と谷地山に沈む夕陽の中で

湯舟沢環状列石と谷地山に沈む夕陽の中で


縄文の氣を感じて創作に没頭する竹内哲氏

縄文の氣を感じて(?)創作に没入する竹内哲氏

“縄文料理”。楽しい検討会が新聞1面に!

2010 年 4 月 8 日 木曜日

 さて、5日付けでお伝えした秋田での5回目の里の駅会議、そのメーンテーマは縄文街道沿線の各県の「料理と地酒と器」遺産の実地検証と結合ですが、早速翌朝地元紙が1面に掲載してくれました。「秋田=鶏、青森=海鮮、岩手=肉 “縄文料理”の開発へ」と大見出し。正確には「縄文(街道)料理(遺産)」なのですが、読者は内容を読むまできっとドングリとクマやイノシシなどの獣肉料理をイメージしたかもしれません(笑)。こんな「縄文」のイメージ形成は、長年「縄文時代」を原始時代と同じ扱いにしてきた日本の学校教育の弊害ですが、「はじめ人間ギャートルズ」も相当影響があったのでは・・?詳細本文はWeb上で「北鹿新聞」の4月4日のニュースを検索しご覧ください! 

北鹿新聞1面、準トップ記事ですがWeb上でも!

北鹿新聞1面、準トップ記事ですがWeb上でも!