この団地は東北自動車道の土取り場跡だったので、設計委託を受注しオッホが現地調査に訪れた時はすでに現在中層建築が建っている場所は削られていた。残っていた溜池やせせらぎの保全以外にもう一つ何とかしたいことがあった。境界に接した周辺住民の崇敬を集める神社の「背景」の復活だ。山が削られ本殿の後ろが剥きだしとなり趣を失っていた。幹線道路はそのすぐ後を通る計画となっていた。
今回の訪問で中央公園の中にひっそりと立つ大きな石碑を発見した。その裏にはオッホが設計時知らなかったことがいろいろ書いてあった。この地は「湯沢森」とか「巫女山(いたこどやま)」と言われ、頂上には権現様、麓にはこの雀神社を祀り、生命の水が湧き出る村の象徴の場であったと。
住宅地を減らして道路を動かし、神社の背景を作る最低限の木を植えるスペースとゆるやかな勾配を確保、旧住民と新住民の心の拠り所の場とするとともに、交流ができるよう団地からのアクセス路も加えた。公社の責任者が「オレの首が危ない!」と言わしめた力はきっと先の地神様が与えてくれたのかもしれない。当時のこんなやり取りを知っているのはもうオッホだけである。