35年後。まちづくりの原点の場所に立つ!(3)-歴史の保全

風景に宿る生命の気を感じ、自然の保全や心の拠り所の保全には配慮した。しかし石碑の裏にはもう一つ大事なことが書いてあった。言いわけになるが行政の土木の仕事は建築と違って設計が終わると施工管理にはタッチできない。その後の発掘調査で縄文の大規模な遺跡が出土したことが記されていた。
当時は縄文の歴史や遺跡に対する評価はまだ低かった。時代も高度経済成長の延長上、三内丸山級の遺跡も東北新幹線や東北自動車道の下に次々と消えていた。八幡平市内の長者屋敷遺跡もその一つである(双六場3)。今日のような縄文遺跡の保全気運やその歴史的価値の再認識はその後20年経った1994年、三内丸山遺跡の登場を待たねばならなかった。もっとも遺跡保存ならこの団地はないのだが・・・
せめてもの慰めは地形をほとんどいじらぬ設計をしたこと。遺跡そのものは残っていないが“現住民”は“縄文人”と同じ風景とロケーションで生活していることになる。
(※写真拡大できるようになりました♪)

公園の片隅にひっそりと立つ団地竣工時の記念碑

設計時に分からなかった事柄が色々書いてあった

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